愛媛県大洲市の肱川を望む川沿いの高台に「臥龍山荘」はあります。
重要文化財にも指定され、ミシュランでも星がついた大洲を代表する観光地です。
ただ、知人などに聞く限りでは知名度はまだまだですし、その素晴らしさが広く伝わっているとはいえないのが現状です。
全国各地に多数ある古い建物や庭園を見せる観光地のひとつくらいに思っている人が多いんじゃないでしょうか。
自分の感覚では他の多くの建築物と比較した際に頭ひとつ抜け出ている印象で、その素晴らしさ・独特さがうまく伝わってないことにもどかしさを覚えます。
大きなお世話かもしれませんが、いくつか思っていることを書かせていただきたいと思います。
「大洲まちの駅 あさもや」から「臥龍山荘」へ
「臥龍山荘」を訪れるには「大洲まちの駅 あさもや」の利用が便利です。
車が二十数台くらい停められる駐車場があって、売店や食事処、観光案内所などもあります。
レンタサイクルもあるみたいですが、「臥龍山荘」が目的なら徒歩で充分です。
「あさもや」のすぐ横にある「おはなはん通り」。
江戸時代の雰囲気を残す100mほどの石畳の道で、白壁の蔵などが建っており脇の水路には鯉が泳いでいます。
昭和41年のNHK朝ドラ「おはなはん」の舞台となったことからついた通りの名称です。
「おはなはん通り」の東側付近で見かけた懐かしい風景。
「臥龍山荘」へと続く小径。中ほどから振り返って「おはなはん通り」方向。
「臥龍山荘」へと続く小径。
ゆるい坂を上り突き当たりを右側に少し進んだところに「臥龍山荘」はあります。
植木鉢が並び生活感あふれるこのエリアから、浮世離れした「臥龍山荘」へと続く流れがたまりません。
※このエリアはかなり急速に変化を続けていて、訪れるたびに風景が変わっている印象です。
「臥龍山荘」
「臥龍山荘」は地元出身で木蝋の貿易などで財をなした河内寅次郎(1853-1909)が明治の後期、肱川の景勝地に建てた別荘です。
建設には10数年の年月(構想の期間も含む)が費やされました。
時が過ぎ一時荒廃した時期もありましたが価値が見直され、河内家から大洲市に建物などが寄付されて現在に至ります。
「臥龍院」「不老庵」「文庫」の3棟は
“吟味された材料と熟練した技術により,全体構成から細部に至るまで,極めて独創的な数寄屋の意匠にまとめ上げており,四国地方における近代の数寄屋建築の優品として高い価値を有している”として
2016年に国の重要文化財に指定されました。
「文庫」の壁面。こうした細部のひとつひとつが美しいんです。
「文庫」を東側から見上げてみました。
元々木があったところに石垣を作ったそうです。
中心的な建物である「臥龍院」の一部。
広く張り出した軒先、広い縁台が特徴で、これが開放感を演出しているんだと思います。
庭の中程にある建物「知止庵」の窓。シンプルなデザインが美しい。
「知止庵」はもともと浴室だった建物を茶室にしたものだそうです。
紅葉する木々も多く四季折々の風景を楽しむことができます。
様々な敷石も見どころです。
画面中央、庭園の一番奥にある茅葺きの建物が「不老庵」です。
蓬莱山の展望台から「不老庵」。
大きく崖に張り出した懸造りの茶室。
ここで昼寝をしたり、月見を楽しんだりできたら楽しそうですね。
夕暮れ時、鵜飼いの観覧船の上から眺める「不老庵」。
まとめ
京都から職人を呼んだり、いい素材を使ったり、とにかく手間ひま費用がかかった建物です。
生きた木を柱にしたり、内装にさまざまな意匠を凝らしたり、
大ワザ小ワザがこれでもかというくらいふんだんに織り込まれた建物なんですが、不思議とうるさい感じにならずいい感じでまとまっているような気がします。
この仕事を成し遂げるにあたっての中心人物は施主の河内寅次郎だったのか、若い30代の大工棟梁・中野虎雄だったのか定かではありませんが、
いずれにせよ、四国の田舎にこのような文化の粋を集めたような建物が建てられたこと自体奇跡のような出来事です。
巨大な神棚だったり若干の闇を孕んだ場所があったりと、時代がかった部分がないわけではありませんが、それを差し引いても軽やかさ明るさを感じるモダンな建物で、
比較対象は「桂離宮」と言っても差し支えないくらいの名建築だと思います。
※手持ちの写真が足らず全く説明が足りていません。不足分はおいおい追加していきたいと思います。
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