「 祈り・藤原新也 」展

藤原新也さんについて

まず前置きですが、面白そうな旅の本を探していて偶然「全東洋街道」上下巻を手にしたのが四半世紀以上前。現在、我が家の本棚には藤原さん関連の写真集や書籍、雑誌などが優に50冊ずらりと並んでいます。藤原さんは自分にとってそんな感じの写真家さんです。

藤原さんは1944年福岡県門司港生まれ。裕福だった実家(旅館)の破産など浮き沈みのある少年時代を経て20代半ばからアジアを中心に世界各地をめぐる旅を始め、多数の著作物を残しています。

まず第一に写真家。文筆家でもあり絵や書などでも活躍されています。代表的な著作は何度も重版を重ねた「メメント・モリ」や「東京漂流」あたりでしょうか。いずれも、かたちは違いますが文章と写真のミックス。日本ではあまり例のなかったスタイルで成功し、80年代には一躍時の人となりそのまま現在に至るというイメージでいいと思います。

旅の写真ばかりでなく、踏み込むのに少なからず覚悟のいるオウムや震災、コロナ、雨傘運動など事件や社会問題の場所も藤原さんの現場です。

今回の訪問直前に見返した、NHK日曜美術館での特集。インドに行くにあたって、カメラも持っていないのに「アサヒグラフ」から旅の資金や大量のフィルムをゲットした話、「メメント・モリ」の文章を20時間で仕上げた話など凄すぎます。いろいろリスペクトです。

世田谷美術館にて

■世田谷美術館  ■2022年11月26日 ー 2023年1月29日

会期最終日の前の日。初めての世田谷美術館です。

実はこの展覧会、去年の10月に小倉の美術館で既に見ており、大体の感じは予想できてましたが展示内容や展示順などどんな風に変えてきてるのかと興味津々です。

小倉では北九州市立美術館分館の2フロアを利用、プライベート感の強い写真(父、少年の港、寂聴さんとのやりとり、絵画など)は約500m離れた文学館での展示となっていましたが、今回は1ヶ所1フロアでの集中展示です。途中でワンクッション置く小倉のやり方もありかなとは思いましたが、美術館の中で行ったり来たり何往復もしながら見たい自分としてはやはり世田谷の展示の方が何かとありがたかったです。

展示作品もいくらか替わっているようで、パリの写真が無くなって、NHK日曜美術館の撮影時に撮ったと思われる門司などでの写真が新しく追加されたりしてました。

展覧会場へ入場です。バリのハスの花がまずお出迎え。インドの写真がドーンときた後、チベット、台湾、香港、朝鮮、イスタンブール、アメリカと続きます。

この写真は「メメント・モリ」の中でも重要な一枚で、色々あって非常に話題になった作品です。

香港、雨傘運動のコーナー。

続いて日本での風景やポートレイト。渋谷ハロウィン、日本巡礼のシリーズや震災関連、山口百恵さん、小保方さん、伊藤詩織さんら女性5人の大きく伸ばした写真などが展示されています。

上は「東京漂流」の中で重要な一部分を占める金属バット殺人の家。日本社会の歪みが具現化した風景。日本社会の変容であったり、重要な通過点の象徴として扱われていたと記憶しています。

東日本大地震。津波後の風景。

その後は寂聴さん。絵画のコーナーやバリ島、沖ノ島の写真がきて父親の臨終の際の写真、門司などでの写真という流れだったと思います。

藤原作品ではお馴染み。バリ島のまゆげ犬。

神の島、沖ノ島。

上は日曜美術館で撮影風景が紹介されていた門司港在住の同級生の写真。いい写真です。

モノクロの写真集もありますが、自分にとっての藤原さんはやっぱりカラーだと思います。ちょっとアンダー、鮮やかな色彩と画面のどこかに闇を残したような写真が大好きです。

藤原さんの写真は事件や社会問題などの際どい現場で撮影されることも多いので、社会的な文脈の中で語られることが多い気がします。でも、僕なんかはただ単純に写真自体の素晴らしさ、言い換えれば写真の美しさだけでもう十分です。

何気無く通りすがりに撮ったスナップのように見せて実は構図や色彩感覚など非常にクオリティーが高いということ。報道や報道に近い、意味を帯びた写真こそ美しくあってほしい、そんなことを願います。

時代の最前線で次々に新しい世界に飛び込んで作品を残し続ける人生、本当にかっこいいと思います。

※今回の世田谷での展覧会では山口百恵さんから伊藤詩織さんまで連続で並ぶ女性5人のポートレイト以外はすべて撮影OK、来場者の映り込みさえ注意すればSNS等へのアップも自由ということでした。

おまけ

最後にヘタレエピソードをひとつ

展覧会を見終わって、ショップのレジ待ちの長い行列を見ながら退場しようとしたところで、目の前に藤原さん本人が。

スタッフの人に聞くと土日などたまにみえられてサインなどしていただけるとのこと。どうしようか。本は既に持ってるけどもう1冊買ってサインをもらおうか、そして何をしゃべろう。脳内がぐるぐる状態でしたが結局そのまま美術館を出てしまいました。これには理由があって、以前ゴールデン街の飲み屋で偶然森山大道さんと隣り合わせになって色々質問するチャンスがあった時、それほど酔ってなかったのにも関わらずどうでもいい的外れな質問ばかりしてしまい大反省という苦い経験がトラウマになっているせいだと思います。つまらない質問もしたくないし、重すぎる質問も場に似つかわしくないし、好きすぎて中途半端には絡めないって感じですね。

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